よザクラ


“ブレているのにいいと思える写真”と“ブレているからだめとなる写真”の違いは、そのときのあなたに、たとえ少しだけだとしても、“なんとか写って欲しい”というような気持ちがあったかどうか、だと思うのです
ほぼ日手帳の5月29日のページより。
わたしが「なんとか写って欲しい」と願ってシャッターを押したものは、全て覚えてる。わたしは普段フィルムカメラばかりを使うから、(そして貧乏性ゆえに、)なかなか気軽にはシャッターを押さない。つい、モッタイナイの精神が出てしまう。そんなわたしは、ださいと思う。
わたしのアンテナと鳥肌を信用して、わたしはシャッターを押します。その瞬間のこと、ぜんぶ覚えてる。現像から帰ってきた写真たちを眺めて、「ああ、あたしのアンテナは狂ってなかったんだなァ」と思ってにやけることができるしあわせ。でもそんな写真は24枚撮りのフィルムに1枚あるかないか。無いときは本当にヘコむ。もう一生写真なんて撮らない、と言ってみたりもする。
でも天気が良くて花が咲いてる日に出会ったりなんかしちゃったら、意地を張っていたことも忘れて外に出ちゃう。単純なノーミソ。お花畑。やめられない。とまらない。趣味の範囲。みとめないで。さわらないで。うそだ、さわって。もっと知ってほしいのに。